昨年12月にリリースされたアルバム『るつぼ』を引っ提げて国内各地を廻った<アコースティックツアー阿漕な旅2018〜2019ひとりかるたとり>は、ステージには中村 中のみが立ち、作品の原点を表出させながら、自身の“一人芝居”を見事に演じ切るものだった。

 もちろん、昨今のアーティストとしての彼女を考えれば、巧みに魅せること自体は期待通りと言うべきだろう。ただ、最終日の神奈川県民ホール公演を終えた瞬間、大きな拍手と歓声に包まれたステージで見せた、ふと我に返ったような恍惚とした表情は、これまでになかった感情を抱いたもののように映った。表現者としての中村 中がまた新たな一歩を踏み出した、そんな光景だったのかもしれない。

 それからちょうど一ヶ月後。東京・日本橋三井ホールで2日間に渡って行われた<LIVE2019箱庭-NEW GAME->。今回はバンド編成で臨むという点でまず大きな違いがあったが、そこで彼女がどのようなパフォーマンスを披露するのか、先のライヴを目撃していただけに、なおさら興味を惹き付けられていた。


 暗転した場内に流れてきたのは、QUEENの「Play The Game」。この選曲にどんな意味があるのかは、推して知るべしである。根岸孝旨(b)、真壁陽平(g)、大坂孝之介(key)、平里修一(ds)という、約2年前のデビュー10周年記念公演の際と同じ顔触れの演奏陣が定位置につき、バイオリン弓で奏でられるギターとピアノの音色が印象的なインストゥルメンタルが演奏される中、白いドレス姿の中村 中がゆっくりとステージに登場。そのまま『るつぼ』の幕開けと同じく「廃墟の森」を歌い始めた。
 声そのもので詩世界へと引き込む手腕。そして少しずつ加わる楽器の音も相まって、緊張感はどんどん高まっていく。中村 中の表現を演者全員が的確に捉えている。どれか一つでもブレがあれば、この空気は生じない。プロフェッショナルなミュージシャンによる、バンドにしか作り出せないアンサンブルである。この強靭な音がその後の演目においても、存在感のある歌を後押ししていった。

 そのまま「羊の群れ」へ。<涙は歌の中で流そう 奪われるなよ>。そういった言葉の意味を後押しするかのように、重厚に響く力強いリズム。それでいて自然にシンガロングを誘う楽曲ゆえに、場内には次第に一体感も生み出されていく。神は崇高なる羊飼いではなかったのか。そんな問いかけが改めてクローズアップされた今ゆえの視点が、中村 中の生き方と符合した。

 最初のMCで、「ライヴ会場は日常と非日常の境目です」とも口にした。ノンフィクションを見せながらフィクションを描く、もしくはフィクションからノンフィクションを想起させる。それはシンガーソングライターとしての中村 中のあり方でもあるだろう。ただ、それがただの自己表現のみならず、何らかの使命感を背負って発しているのが『るつぼ』であるのも間違いない。加えて、この「ツアーの終着地」に至るまで、自身が発した言葉を幾度も反芻する中で、当初は冷静に見つめた様々な客観的視点は、より内実化していった。



 「不夜城」に描かれた都会の夜景。そのきらびやかな光は、実は助けを求める人々がそこにいることの証でもある。彼女がこのテーマを採り上げたのは、たとえば巷間言われる労働環境の整備を促すためではない。あくまでも目を向けているのは個の存在である。救済を求める声なき声を見逃さない。もしかしたら自分がその立場なのではないか、身近にその声があるのではないか。彼女の歌に耳を傾けながら、思いを馳せた人は少なくなかっただろう。
 それゆえに続く「働き者」はより具体性をもって響いてくる。アコースティック・ギターを手にして、叙情味のあるメロディを切なく歌う中村 中。<ごめん 今夜 泣きたいんだ>と感情の昂ぶりと共にバンド・サウンドが重なっていく。ライヴの場ならではのリアリティのある感触は「不夜城」との連関がもたらす要素もある。次の「手紙を書いてよ」も古きよきフォーク・ミュージックに通じる、言葉を丁寧に伝えてくる楽曲であり、マイクに向かう彼女に観客の目は集中する。相応に人生を経てきた人には、特に涙腺を刺激された時間だったかもしれない。

 歌い終えた後、メールの便利さに慣れ、一般的に手紙をしたためる機会は減っていることに触れ、手段が簡単になったことで、「心の込め方が変わってきてやしないだろうか」と中村 中。そして、「想像力を欠いた言葉は人を傷つけてしまう、そんなことを書いた曲」と『るつぼ』の中から「蜘蛛の巣」を導いた。抑えた声の1番と荒々しさが溢れる2番。声の表情が悲しさや怖さを醸し出す。<平成最後の日本の空>に張り巡らされる白い糸、そこに待ち受ける黒い罠。インターネットの世界を指す“蜘蛛の巣”に現れる妙な人間関係は、今や普段の生活においても広がっている。そんな闇を考えさせられる歌だ。

 そこにムードのあるオレンジ色の照明を背景に始まった「木の芽時」は、冒頭のナレーション的パートが、このタイミング特有の情景を想起させる。アップ・テンポなジャズ展開と合わせた、大きな身振り手振りは、80年代のアイドルのようでも、舞台役者のようでもある。動から静へ、静から動へ。自在なパフォーマンスがオーディエンスを揺り動かしていく。

 ここで数日前まで出演していた『毛皮のマリー』について触れた。寺山修司原作の未公開ヴァージョンということで注目を集めたが、「集団では“強い人”と“弱い人”に振り分けられてしまう。そんな不運な“役回り”で寂しい思いをしている人たちの歌を聴いてもらいたいと思います」と始まったのは「同級生」だった。常に社会問題となってきたイジメの背景の一つを彼女なりに綴った楽曲である。どう解釈するかは受け手それぞれとはいえ、誰しも身近に見聞きしてきた、場合によっては今も巻き込まれている、やるせない現実だろう。

 そして同期サウンドから「箱庭」へ。世の中の“役回り”で虐げられた少年少女が行き着いた場所、そう受け止めることもできる。<生きている、そう感じられる場所>の哀しさはポジティヴでもある。ただ、ある種の仮想現実の世界は弱者に追いやられた人たちのみに必要なものでもない。今回のライヴのタイトルに“箱庭”を冠したのは、先述した「日常と非日常の境目」でもあるこの空間を大切にしていきたい彼女の思いがあるからこそだろう。



 続いて歌われたのは、舞台『ベター・ハーフ』の劇中歌として中村 中がカヴァーした、森田童子の「たとえばぼくが死んだら」だった。「これからも大切に歌っていきたいです」とも話していたが、『るつぼ』に伴うライヴだからこそセレクトされた面も少なからずあるように思える。アップライト・ベースを手にした根岸のプレイ、真壁の激しいギター・ストロークも歌詞に描かれた物語を幾重にも盛り上げていく。
 本編最後のMCでは「(戦争から高度成長を経た)昭和というのは、みんな同じ方向を向いていたと思うんですね」と自身の時代感覚を話し始めた。そして、「平成とはどんな時代だったのか」と問いかけ、「自由の使い方を掴み損ねた」時代だったのではないかと彼女の見方を伝える。その後、「何でも好き勝手言えばいいわけではない」とLGBTの話題へと具体的に話を進めた。昨年夏に報道でも大きく採り上げられた“生産性”。中村 中は「デビューの頃だったら、そんなことを言われたら立ち直れなかったと思う」としながら、「私はいい。自分の支えになるものを作ってきたから。でも、まだ悩みの渦中にいる人たちはどうか。そう考えたら怒りが沸いた」と当時の心境を吐露したのである。

 ここで垣間見えたのは、問題意識を自覚的に見つめたプロセスである。これまでもLGBTについて話をすることは、彼女には自然だったはずだ。しかしこの局面において、中村 中が送るべきメッセージを明確に作品として形にする意志を抱いた。それが『るつぼ』の制作を後押しした一つの要因だったと考えると、同作から発せられる力強い言葉の数々になおさら納得がいく。

 「子供の頃は、いろんなことをあきらめなきゃいけない人生なんだと思った。でも、そんな考えは古いわねって言われる時代がくることを祈ってます」。そう言って「友達の詩」を歌い始めた。彼女の代名詞的な楽曲とされるが、今も多くの人の心を動かすのは、真摯に自身の思いを綴った歌が、普遍的な意味を有するゆえだろう。エンディングのコーラスを発する中村 中の脳裏に浮かんでいたのはどんな光景だったのか。歌い終えた彼女には、盛大な拍手が長い間贈られていた。

 その喝采がやんだ瞬間、突然「雨雲」を歌い始める。恐怖すら感じさせる声色。「羊の群れ」や「不夜城」などにも重なるストーリーに見えるのは、中村 中が個人として目を向けてきた主題が、ポジティヴな意味で先鋭化してきたと思わせる点だ。事象そのものは何も変わっていないが、巡り巡って意義が付加されていく。人としてどうあるべきなのか。本来的に大切なものとは何なのか。そんな問いを聴き手にも投げかける。

 そのままヒップホップ的な心地よいテンポ感で進む「裏通りの恋人たち」へ。場内は手拍子が巻き起こり、コール&レスポンスも繰り広げられる。<僕らは好きな歩き方で 僕らの好きな道を行こう>。この歌の解釈も十人十色だろうが、いずれにせよ、無意味な雑音など気にせず、前を向いて進んでいくよう背中を押されたリスナーは少なくないだろう。そして「ライヴも残りわずかです。残機全部使って、心残りのないように楽しんで!」と煽って「駆け足の生き様」が始まると、それまで着席して中村 中の一挙一動に集中していたオーディエンスも一斉に立ち上がった。歌詞のベースにある思春期の少年少女のやりきれない思いは、誰しも共感するところであり、フロアで体を揺らす観客も自分自身の往時の日々を思い出しながら楽しんでいるように見える。タンバリンを手にした中村 中も、それまでとはまた異なった表情だ。

 さらに「事勿れ主義」に移ると、パフォーマンスはさらに熱気を帯びてくる。それは演奏陣も同じだ。音が自然に体を動かすよう機能する。<爪を研げ 牙を剥け あたしは事を興す主義>。この一節に代表される力強さが、どんどん聴衆を鼓舞していく。この曲にしても「駆け足の生き様」にしても、彼女がデビューした初期に作られたもの。中村 中の歌世界が一貫したものであることを、ここでも確認することになる。だからこそ、それから約10年を経たこの日、あえて「私の今の気持ちです」と前置きして、『るつぼ』のエンディング曲でもある「孤独を歩こう」をコールした彼女の勇姿が頼もしかった。

 アンコールはいつものように和やかに始まった。巧みな話術も中村 中の大いなる魅力であり、それを楽しみにしているファンも多い。とはいえ、締めるところは締める。『るつぼ』に伴う各地の公演を通して、彼女が裏テーマとして披露してきたのが、この日の最終曲となった「たびびと」だ。自然災害で今も日常の生活に戻れない現実と向き合う人々がいる。「今もまだふるさとに戻れていない人もいる、そのすべての人たちにエールを贈りたくて書いた曲」を、彼女はこのうえなく丁寧に歌い上げた。

 もちろん、その中には帰還を果たせなかった魂の存在も言い含められているだろう。また、それぞれにとってのふるさとは、実在する地域ばかりではなく、個々のルーツにあるものといった観念で捉えることもできる。後奏が続く間、中村 中は手を組み、目を閉じて祈りを捧げていた。今、その時間にもさまよい続けている人たち。一見、途切れたように見える時間も、決して途切れることはない。名残惜しそうにステージを去った彼女は、『るつぼ』の世界を舞台で昇華できた充足感を得たのと同時に、また新たな気持ちを抱いたはずである。それがどのような形で表現されるのか、楽しみは今から増すばかりだ。

 なお、今後も多彩な活動が計画されているようだ。現時点で明らかになっているのは、来る6月に東京・下北沢本多劇場で催される舞台『らぶゆ』への出演だ。俳優としても八面六臂の活躍で魅せる中村 中がどのように演じるのか、興味は尽きないところ。注目しておきたい。

土屋京輔

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