2019.06.23 up

ヨースケ@HOME江

ヨースケ@HOMEこと宮内陽輔の訃報が届きました。ヨースケは私がデビューして間もない頃に出会い、それから幾度かステージを共にしたり、お互いの活動を応援し合う仲でした。

どんな人にも関心を持てる人でした。
私が「元・少年少女合唱団」を結成する際にも、絶対に人を不安にも不快にもさせない大らかさを持つ彼に、側にいてもらいたいと声をかけました。

どんな人とでも一瞬で打ち解けあえる才能が彼にはありました。
人望が厚く、本当にたくさんの人が彼のその才能に惹かれていたし、彼を頼りにしていました。
頼られたら断れない人だと思います。

亡くなる数時間前までギターを弾いていたと聞きました。合唱団でも予習復習をしっかりする人でした。
亡くなる数日前まで、彼が音楽を手がけた映画「小さな恋のうた」の感想を伝えたり、今後の合唱団についてのやりとりもしていただけに、突然の訃報が信じらませんでした。

映画ではバンド演奏のプロデュースもしていましたが、俳優に楽器の演奏を習得させ、その役として生きさせるために相当な時間を費やしたことを映画を見て感じました。
彼の面倒見の良さが、後のネットニュースなどにも表れていました。
去年の頭くらいからずっと映画の音楽のことを聞いていましたから、こんなに大変なことをしながら合唱をしていてくれたのだなと、有り難くも心苦しい気持ちになりました。

頼り過ぎてしまったかも知れない。
これは私個人の反省です。

でもヨースケはどんなれことでも自分の為になるからと、常に新しいことや、人からの誘いへ飛び込んでゆく人でした。
集まった合唱団のメンバーも、ヨースケを紹介した仲間たちも、みんなヨースケが大好きでした。私も、ヨースケを愛しています。

もう触れられないなんて、
あの笑顔に会えないなんて、
これからもっと面白いことをしようよと約束していたし、
歌ったり、喋ったり、色々な続きが出来ないなんて信じられないけれど、
ヨースケはこんな時でも笑っている方が好きだろうなと思います。

ヨースケは、
どんなに辛辣な話題でも、
どんなに悲しいことでも、
キツイことでも、
優しく話せる人でした。

ヨースケのようになれたらと思う人はきっとたくさんいます。私もそうです。

彼が残したものは音楽と、そして心です。
人を信頼するという心。
風は外にか吹かないということ。
風にさえ吹かれていれば、
苦しい時間も少しずつ変化すること。

ひとつの場所に留まるよりも、
人と人が出会い、
また別の場所で出会った人に、
それまで出会った人のことを話すことで、
世界が広がってゆくこと。

そういう風通しの良さと、
風に乗れる羽のような心を持っていました。
そういう心を、彼は仲間たちに残してくれたのです。

奥様とお子様のことが心配です。
でもヨースケが出会って来たたくさんの人たちは、みんなで守りたい、みんなで育てようって気持ちでいると思います。私もそうです。
遠慮せず頼ってほしいと思います。

私が出来ることは、その心をこれからも愛し続けること。それがヨースケを愛し続けることになると思います。
そして、新しい音楽を耳にした時に「あたるちゃん!新しいの聞いたよ!」って深夜だとか早朝だとか構わず連絡をくれたヨースケが、
少しでも楽しめるような音楽を作り続けることです。

この人生で、
ヨースケに出会えて私は本当に幸せです。

ヨースケ、
性に合わないかも知れないけれど、
今は少し休んで、
穏やかに過ごして欲しいです。
いつかまたそのうちに会おうね。

愛を込めて
平和を共に願います

中村 中与利

twitterFacebook
▲To Top
To Top

最新のリリース情報や公演情報を無料メールでお届けいたします。メールアドレスの変更・解除はこちらから

メールアドレス 
登録完了メールが届きます。 万が一、3分以内にメールが届かない場合は、メールアドレスの入力ミスが考えられますので、大変お手数ですが、再度入力をお願いします。
*ドメイン指定受信を設定している場合は、「@ataru-atariya.com」ドメインからのメールが受信されますように、設定をお願いいたします。